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こだわり100回

自己満足の世界。俺が勝手に吠えるところ。

自分が面白いと思っても、それを面白くないと思う人もいる。そうなったときに、自分はどうするのか。人が面白いと思うことをやるのか、それとも自分が面白いと思うことをやるのか。僕は、自分が面白いと思うことをやりたい。そしてそれに共感して面白いと思ってくれる人が反応してくれたら嬉しい。例え反応してくれる人が少なくてもいい。その人達のために、続けていきたい。
話題のサイト、The Savvy Musician Blogにクラスのディスカッションをベースに書かれた記事が載ってます。英語が読める方、1000ワードくらいの英語を読む根気がある方、ぜひお読みください。

The Future and Role of Music in Modern Society
ラフマニノフの音楽は、ロシア人しか正しく演奏できない。

そんな風に考え始めました。

突き詰めて考えていけば、結局は個人の好みとか、そんな感じに答えが落ち着くことは目に見えてるんやけど、その過程で何が見えるか楽しみな感じがするのです。
クラシックの演奏に何を求めるか、何をもって「正しい」とするか、そもそも「正しい」なんて有り得るのか。そういったところから議論が始まって、本当にいろんな事を考えないと、この問題の答えは出ないやろうね。別にラフマニノフじゃなくてもいいよ。ベートーベンでも、マーラーでも、武満徹でも。

要はその国の人じゃないと、作曲者との真の共感というか、文化的な背景とかを心の底から理解していないと、作曲者の求める演奏ができないのではないかと考えたのがきっかけです。ただそこで、演奏者は常に自分の解釈を加えるから作曲者の思い通りに演奏するのは不可能だ、とか、自分の解釈を加える度合いだとか、まぁいろいろなポイントで議論が起こるわけです。

また時間をかけて考えていきます。

去年の今頃も全く同じ事を書いてるけど、やはり将来、クラシックの世界で働くことに興味があります。理由の一つとして、ロックより教育的である分、社会貢献がしやすいと思うんですね。自利利他っていうか、自分を高めるのと人の役に立つのを同時にやらないといけないって思うし、そう考えると、やっぱりクラシックの方が同時にやりやすい。ただ教育的であるがゆえ、社会貢献の内容はどうしても教育が主な目的になるよね。例えばロックなんかで社会貢献を考えるとそれはそれで難しいけど、歌詞があったりジャンルとして人気がある分、より大きい層に訴えかけられるから、自然と大きなテーマを扱える。エイズでもいいし、反戦でもいいし。クラシックでも不可能ではないと思うけど、難しいね。でもそれは、ジャンルの特性の違いということで納得できるものであるとも思うわけです。
将来クラシックに関わらなくても、クラシックの世界を覗いてみることは決して無駄ではないと思います。ただ、「社会人は政治家になれるけど、政治家は社会人になれない」とか「マックユーザーはウィンドウズを使えるけど、ウィンドウズユーザーはマックを使えない」みたいなことが音楽の世界にもあって、「クラシックで働く人はロックで働けるけど、ロックで働く人はクラシックで働けない」、もしくはその逆みたいなことがあるのかなって。そこがちょっと心配。もっと深く考えたり話を聞いたりしようと思います。
クラスで取り組んでいたthe Savvy Musician Challenge。そのペーパーが出来上がりました。musicianの思い、叫びが詰まったペーパーを読んで勝手に胸が熱くなりました。大変だけど、music majorで良かったと改めて思いました。
医者がなぜ医者になれたかというと、それは人生の長い時間をかけて医学を勉強してきたから。教師がなぜ教師になれたかというと、それは人生の長い時間をかけて教育を勉強してきたから。その長い時間をかけて何かを習得するということがプロフェッショナルであるならば、人生の中で長い時間をかけて音楽を学んだ音楽家も、同等のプロフェッショナルだと思います。
食料を自分で作ることだって可能なわけですよ。自分の家の庭に畑作ったりしてね。でも農家の方が食料を作るノウハウを知ってるから、食物を作るのは農家に任せてる。自分の子どもに自分で勉強を教えることもできるけど、教師の方が知識があるし、教え方も上手いので、教師に任せてる。そうやって足りないところを人に助けてもらって社会が成り立ってるんだね。そういうことで、我々音楽家は音楽を勉強することによって音楽を作る、音楽を演奏する、音楽の文化を引き継ぐ、といった他の職業の人ができないことをやってるわけですね。さらに偉そうに書くと、音楽は娯楽だけでなく医学にも用いられるし、教育にも使われる。実に広い範囲で影響がある。

ということで、音楽は命ほど重要じゃないとしても、他の職業の方と同じく音楽家は長い時間をかけて音楽に関する知識、技術を身につけたわけで、プロフェッショナルな人たちなのです。

論点が行ったり来たりでまとめ方がよく分からなくなってしまいました。一応これで長らく考えてきた「ミュージシャンは重要なのか」という問題は終わりにしたいと思います。また何か浮かんだら書くけど。
あまりクラシックをやってる友達というのがいないので本当はどうかわからないけど、クラシックをやってて、例えばオーケストラに入りたいとか将来ソロでやりたいと思ってる人って、クラシック至上主義やったりするのかな?クラシックはロックとかヒップホップとかいわゆるポピュラーミュージックに分類される音楽より優れた音楽と思ってるのかな?
クラシックのミュージシャンって勝手な想像やけど、プライドを持ってやってると思うんですよ。単純にクラシックをやってるプライドとか正統を受け継ぐプライドみたいなことなんやけど。クラシックってバッハの時代からでも300年近い歴史があるし、その間にどんどん発展していって最初は宗教の一部やったものが芸術の域まで達した、素晴らしい音楽やと思うし、本人達に自覚はなくてもクラシックの道に進むと言うことは、その長い歴史の一部になることやし、やってるうちにでもプライドっていうものは出てくると思うんですよ。
でもクラシックをやるっていうことは単にモーツァルトを弾いたりするだけじゃなくて、その長い歴史を後世に伝えていく、残していくというのも責任だと思うんです。もちろんロックをやる人も、他のジャンルの音楽をやる人もそうやと思うけど、クラシックは歴史が長い分特にね。そのためには過去をそのままやることも必要と思うけど、同時に新しいことをやっていかないとダメなんですね。新しく人を取り込むには新しいことをもやっていかなければならない。ただ今までクラシックに触れなかっただけで、従来のクラシック音楽を聴いてファンになる人も間違いなくいる。でも、従来のクラシック音楽ではあまり満足しなかった人をクラシックの世界に取り込むには、違う方法を試さないといけないわけです。その時に、クラシックが一番優れているとかいう考え方が邪魔になる可能性があるんですね。
ここまで読んだ人はだいたいこれから何を言うか想像できると思うけど、新しいファンを開拓していくのに一番手っ取り早い方法が、やはりポップ路線を行くことやと思う。ポップソングをやるということではなくてね、ガチガチのクラシックではなくて、もうちょっと聴きやすいというか、クラシックファンじゃなくても入っていきやすい曲をやることやと思うんです。クラシックが一番と思ってても、演奏技術があればそういう別の感じの曲をやることもできるんやけど、心から楽しんで、やりたいと思ってやる人と、ちょっと抵抗があったり、嫌々やってるような人やったら、好んでやる方が絶対に当たらしファンに届くと思うし、プライドが若干邪魔してるような人の演奏では聴かれても、ファンまでにはならないと思う。
最後の方は疲れてだいぶ簡単にまとめてしまったけど、まあそういうことです。
クラシック好きって素晴らしいし、プライドを持ってクラシックをやってる人は個人的に好感が持てる。音楽の好き嫌いはいいけど、音楽に優劣はないんですよ。ということです。
もし世の中から音楽がなくなったら、人間の生活はどんなものなんだろうって考えます。まあ退屈やろうね。でもそれはそれだけ音楽が人間の生活の一部になってるということの裏返しでもあって、言ってみれば息を吸えば空気が入ってくるとか、蛇口をひねれば水が出てくるとか、冷蔵庫を開ければ食べ物が入ってるとか、そういうことに近いということでもあります。でも今挙げた例えと決定的に違うのは、音楽がなくても死なないということ。そういうところに、職業としての音楽が若干低く見られる原因があるようにも感じるわけです。
でもやっぱり人間は音楽に依存してる部分がある。ホントに気付きにくいところでね。例えば、音楽がなければメンタルヘルスを保つのは難しいと思うんですよ。ちょっと気が滅入った時に音楽を聴くことで精神的に安定すると思うし、そういう役に立ってるわけです。病院なんかでもBGMにクラシックが流れてたりするしね。ワクワクする朝にシャワーするとき、音楽がなかったら困るやん。胸キュンな気分を抑えきれないとき、音楽がなかったら困るやん。そういう溢れる思いをすぐに発散できるのも音楽の良いところ。映画とか、本とか、絵とかと違って、音楽はアクセスが簡単。歌えばいいんやからね。そういう便利なところも音楽が生活の一部になった理由な気もする。

思考が散らかってます。

そういうことに気付く、気付いている人を増やすということも、音楽の文化を発展させていくことでもあるし、音楽の地位をさらに上げることにも必要なことでもあります。そういうことをするには、やっぱり地道にやっていくしかないのかなという気もします。それに関して個人的に出来ることと言えば、やっぱり地道に話す、主張していくということしかない。こうやってブログに書くのもそうやし、友達とこの話題に関して話すのもそう。音楽仲間以外の友達に話したいね。内輪だけでこの話題を放っておくのももったいないし、外に発信していかないと広がらないし。本当に微力やけど、何かしら音楽の発展のためにやっていきたいと思っております。はい。

長くなってきたので、終わります。
忘れないうちに先週の授業の熱すぎるディスカッションの記録。

この日は先生の出す質問に対して賛成か反対かに別れてディスカッションしました。例えば「チャンスは一回しか巡ってこない」とか、「ポテンシャルのある人より経験のある人と働きたい」とか、「uncertain thingsをやるときlossを一番に考える」とか、そんなことです。

どのテーマの時か忘れたけど、ニックの「もう俺たちは船から降りている。」という言葉が印象に残りました。確かにビジネスとか他のメジャーの人と比べても音楽の世界で生きるということは何も明日を保証してくれないし、安定した生活というのは非常に難しい。特にパフォーマンスでフリーランスとして生きていこうと思ってる人は特にね。俺なんかはまだ会社に就職しようと思ってる身やから、彼らに比べたら人生のリスクという面では少ないけど、気持ちは一緒(のつもり)です。後は「チャンスは一回しか巡ってこない」というテーマの時の、「チャンスを自分で作り出すのが仕事。それが出来てないと、良い仕事をしたとは言えない。」という言葉。逆に言えば、良い仕事をしてると、次のチャンスがやってくるということ。そして、その時に恐れずに次の一歩を踏み出せるかということも大事。

個人的にインスパイアされた言葉なので、残しておきます。
俺はまだ夢を追ってるし、これからも追い続けるんやろうけど、社会に出たときに現実を見なければいけないことは絶対にある。と思う。世の中には「夢を追うこと」と「現実を見る」ことは相反することと捉える風潮があるように(少なくとも俺は)感じるけど、でも俺は、そこで両方欲張りたいなと思うのです。夢を追いつつ、現実もしっかり見る。「そんなのきれい事だよ」と言う人もいるかも知れないけれど、そう、きれい事で生きていきたいのです。